精神分析的心理療法、精神分析について
当オフィスで提供する「心理療法」とは、「精神分析的心理療法」です。これは、読んで字のごとし、精神分析の理論および実践的研究にもとづき、さまざまな角度から多層的にその人のこころの世界を理解し共有していこうとするアプローチです。
精神分析の創始者フロイトは、人のこころの成り立ちやその複雑さについて探究し、多様なモデルを後世に残しました。わたしたちの心って、氷山にたとえられるのですよね。見えている氷山の部分=意識できているものは一角にすぎなくて、見えていない海の中の部分=無意識には、広大な世界が広がっている、って。
フロイトは、その無意識の部分を言語化に至らせ、いわば、暴れ馬のように統制できないでいた部分を自我のコントロール下に置くという治療モデルを考えました。正式な精神分析療法では、週4回以上の面接を、クライエントに横臥=カウチに横たわってもらい、自由連想をうながしていくという手法をとります。それは、無意識の世界と接触しやすくなるための工夫といえます。

その古典的な手法では、治療者は、クライエントの中にある無意識的な物語の断片や痕跡を拾い出し、つなげていくといった、外科医にもたとえられるやりかたでした。そこでは、治療者が、いまどんな「転移transference」が起こっているかを手がかりに、クライエントのこころを一貫したものに整えていきます。
転移とは、重要な人物とのあいだで学習・形成された対人的・感情的パターンが、時や場所、相手を変えて繰り返し起こってくることで、これは、ごくふつうの日常生活でもみられることです。いつも同じ失敗を繰り返してつらい、いつも同じパターンで人間関係がうまくいかなくなるといった状況の背後に、実は潜んでいることがあります。
ただ、フロイトのやりかたは、ある意味、一方向的かつ、権威性の強いものといえます。フロイト以降の精神分析は、人のこころがまわりとのどのような相互作用によってかたちづくられ、健康さや自分らしさを確立していくのかを描きだすのが主流となっています。
たとえば、自分ではつらすぎてこころに保てなくて、あるいは、誰かになんとか理解してもらいたくて吐き出したもの・・乳幼児期は排泄だったり、泣き声だったり、かんしゃくだったり、甘えたいという強い欲求だったり・・それを、まわりの人が受け取って、意味のある大事なものとして伝え返してくれることで、わたしたちのこころのなかには、その思いを入れておける場所ができるのですよね。
基本的には、セッションの内外で、あるいは今ここで、クライエントが感じていることやつい行動してしまったことなどに、ていねいに、かつ、しっかりと、治療者とクライエントふたりのこころを寄せていくことになります。なので、精神分析は、どうすればよいかという具体的なHow toや対処法をしっかり伝授するというやりかたではありません。クライエントのかたは、治療者とともに、ご自分自身のこころに起こっているさまざまな感情や他者のとらえかたについて理解を深めていきます。
今週も来週も、また、精神分析では週に4回以上、そのようないとなみを積み重ねていく中で、ふしぎと、こころに強さやしなやかさが備わり、この自分で生きていっていいのだという自己への確信や客観的な思考力が養われていきます。それは、自分と向き合い、治療者という他者を信頼し、過去と現在〜これからの未来をしなやかにつないでいく作業の結果といえます。
そうしたプロセスは、当然、かんたんに、かつ手ばやく進むものではなく、時間も費用もかかります。ときには、知りたくなかった自分や知らず知らずのうちに隠していた部分に目を向けることになり、こころに波風が立つことになるかもしれません。
しかし、そのかたわらにはセラピストが寄りそいつづけます。あなたは決して一人ではないのです。そうしたこころの航海のなかで、あなたは、かなりの変化や生きやすさを手にすることになるのではないかと思います。