A serene view of daisies blooming amidst vibrant green foliage in a summertime forest.

“きょうよう”としての精神分析

|

 ひさしぶりのブログ更新です。

 高齢者の認知症予防の標語に、「きょういく」と「きょうよう」という言葉があります。これは「教育」と「教養」のことではなく、「今日、行くところがある(きょう・いく)」「今日、用事がある(きょう・よう)」という意味なのだそうです。

 家から出て、行く場所があること。

 だれかと会う約束や、果たすべき用事があること。

 このシンプルだけど、たしかな日々の営みが、わたしたちの心身の健康を保ち、脳の働きをいきいきと保つためにいかに重要かということを、このことばはユーモアたっぷりに教えてくれます。

 私は日々の実践のなかで、このことばは決して高齢者だけのものではないと感じています。現代社会はせわしなく、私たちに「今日、やるべきタスク」を突きつけてきます。そのなかで自分の悩みや不可解さを抱えつづけることは、とてもつらく、窒息しそうな思いにさえなることでしょう。 

 だからこそ、現代を生きる私たちにとっても、心に活力を与える「きょうよう(今日、自分の心のための用事がある)」を持つことは、とても大切なのではないでしょうか。

 私は、精神分析的心理療法(週1〜3回)や、精神分析療法(週4〜5回)という営みは、人生における大切な「きょうよう」になり得ると考えています。

 一般的なカウンセリングが「困りごとの解決」をめざすものだとすれば、こうしたアプローチは少し趣が異なります。効率的なアドバイスや、すぐに役立つ正解は用意されていません。かわりに、心に浮かぶことを、どんなにささいなことでも、あるいは理不尽でまとまらないことでも、そのままことばにしてみるという作業(自由連想)をおこなっていきます。

 この点、たとえば精神分析療法では「週に4、5回」という高い頻度で、決まった時間に、決まった部屋へおもむき、同じ面接者と顔を合わせます。「今日、あの場所へ行き、あの人と自分のことについて考える用事がある」。この定期的なリズムは、生活のなかに、小さくとも確かないしずえ(安全基地)を作ってくれます。それによって、私たちは安心して、深い心の底へと潜っていくことができるのです。

 自分の内側に浮かぶ思いを、だれにも遠慮せずにことばにし、自分の「これまで(過去)」がどうであったかを振り返り、「いま現在」の立ち位置や抱えている問題を確かめ、「これから(未来)」をどう生きていくかを、面接者と共有していく。これは、自分の人生という物語を、他者とともに編みなおしていくような、とても創造的でエネルギーを要する「用事」です。

 他者のまなざしを借りながら自分を深く知っていくこのプロセスは、単なる症状やお困りごとの解決を超えて、その人の人生そのものを豊かにする、本来の意味での「教養」へとつながっていくのではないかと思います。自分の人生をより深く、大切に生きるための「きょうよう」としての精神分析。その意味での「行くところ」として、当オフィスがお役に立てればうれしいです。

Close-up of blue and purple hydrangea flowers blooming outdoors in natural sunlight.

(あじさいがきれいな季節になりました)

その他の投稿